徳島新聞・夕刊1998年4月8日「私の一冊」より

『建築有情』長谷川堯著

中公新書(中央公論社刊)

 

 設計の発想に行き詰まったとき、決まったように手にするのが、この『建築有情』である。1977年に発刊された本書は、長谷川堯の書かれた随筆を一冊にまとめたもので、「都市と建築の詩」と「回想の中の住まい」の二章からなっている。「回想の・・・・・・」章は、こんな言葉からはじまる。「近代化へ進めばすすむほど、人はそれとは別の歴史的な努力へと目を向けるようになる。それは懐古趣味や郷愁といった感傷的な感情ではなく、いわば飢えとして、かつての建築の豊かな意匠の蓄積を味わおうとするようになるのだ。それらの意匠には、人を工業の奴隷ではなく、まさに人間として生きさせるための工夫がみられる」

 現代はこころの豊かさを求める時代といわれて久しいが、未だにその答を見い出せないでいる。それはいまの家づくりに顕著な形で現れている。使いやすさの利便性を第一に追い求める家、最先端の設備導入をめざす家、突飛な意匠で個性を主張する家、近隣との付き合いを拒絶する家など、いまもこころとは無縁の家を追い続けている。物質文明が人の感性を蝕み続け、ものの見方を大きく変えてきた。工夫し作ることを自らが捨て、与えられることに馴れてしまったツケは、そうたやすく元に戻すことはできない。そして、待望の家ができ上がったときから不満がはじまるのだ。家は両親と同じように子供の成長に大きな影響を及ぼす。形や機能性にのみこだわる家づくりには寂しい末路が待っている。五感をはぐくみ豊かなこころを育てる家づくりは、いま求めているものとは裏返しのところにあるように思えてくる。

 著者は、草葺・導入・暖炉・縁側・家庭・屋階などの語彙から、意匠のなかに潜む多様な表現や豊かな情感を読み取り、建築への慕情を謳い上げる。人間的建築を取り戻すには、眠り続ける感性を呼び覚ますことに他ならないと語りかけているようだ。そして、「建築が建築としての命を完璧にするのは、まさにそれが使われはじめたときである」という言葉のなかに、使う者への示唆とともに、自己陶酔に陥りやすい設計者への警鐘も含まれている。建築家をめざす若者にぜひ一読して欲しい書である。(富田 眞二)

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