住宅建築1992年2月号「私の本棚から」

今和次郎の語りかけるもの

富田 眞二

 

■書名:『日本の民家』

著書名:今 和次郎

発行所:岩波書店

発行日:1989年3月16日(初版)

判型他:文庫判  351頁 570円

 

 『日本の民家』を読んでいると、ほのぼのとした温かいものが伝わってくる。建築だけに留まらない生活描写や、多数挿入された情感あふれるスケッチが、情景を浮かび上がらせて田舎への郷愁をかきたてていく。

 <民家>という言葉を一般用語にしたといわれるほど多くの人びとに愛読されたこの本が、いままた新たな形で出版されている。

 大正6年(1917)から11年(1922)にかけて、全国を行脚した今和次郎氏の民家研究の成果は、『日本の民家−田園生活者の住家−』と題してまとめられ、大正11年に鈴木書店から初めて出版された。以後、昭和2年(1927)には増訂版『日本の民家』(岡書店)を、昭和18年(1943)には改稿版(相模書房)を、続いて昭和29年(1954)には増補版(相模書房)がそれぞれ出版されている。

 そして今回、増補版を底本として、岩波書店から文庫本で出版された。

 

●『日本の民家』誕生のプロセス

 藤森照信氏は『日本の民家』巻末の解説の中で、

この本の誕生に至るまでの道筋を書かれている。要約するとこうである。

 

明治45年、今和次郎は東京美術学校を卒業後、恩師岡田信一郎の紹介で早稲田大学建築学科佐藤功一教授の助手として仕えることになる。民家への関心を持っていた教授との出会いが、今を民家研究へと引き込んでゆく。

大正6年、佐藤教授は柳田國男、石田忠篤(ただあつ)らの民俗学者にも呼びかけて、建築・民俗合同の民家調査に出かける。そこで今ら建築班は、民家のスケッチや間取りを採集する。しかし、その調査も、翌年の佐藤教授の病臥で自然解散を余儀なくされる。茅が風化して白くなるのにちなんで名付けられた<白茅会(はくぼうかい)>はこうして短命に終わるが、そこで民家に目覚めた今は、作る人から見る人へと転身することになる。

大正7年、白茅会が消えた後も、1人きりで全国行脚を持続してゆく。この陰には白茅会で知り合った石黒忠篤がいた。当時、彼は農商務省の有力な農政課長の座にあり、公務出張の名目で、今を全面的にバックアップした。今はリュックを背に北海道から九州まで、歩きに歩いた。こうして生まれたのが日本で最初の民家の本『日本の民家』であるという。

 

蛇足とは思えたが、『日本の民家』誕生のプロセスを、ここにどうしても書きしるして置きたかった。

 

●今和次郎の視点

 このようにして、全国を巡り歩いた今氏が書きしるしたものは、人びとの生活の中から生まれてくる民家であった。それは建物や間取りだけに留まらず、慣習や風俗、動植物や田畑のこと、果ては調度品や肥溜に至るまで、詳細に記述されている。

 氏は俗にいう造形的な美より、人びとの素直で力強い生きざまから生まれ出るものに、強い関心を示している。それは「開墾地移住者の家」の一節によく出ている。

 

その土地から得られる材料で、出来るだけ早く、飾りもそっけもなく、むき出しに、自然が生きている人間が家なしで居ることをゆるさないから、しかたなしにその工作をはじめなければならないのである。彼らはいそいで木の枝を切り集める。

・・・・・・・・・・・・・・・・(中略)・・・・・・・・・・・・・・・・・

しかし彼らこそ大きな野の上に孤立して極度の単純生活を堂々と営んでいるんだと思うと、また、たまらなく羨ましく感じられて来る。

 

また上のスケッチは、昭和9年(1934)に竹内芳太郎氏と共に徳島へ調査に来られた時のものであるが、着飾ることのない情景描写が氏の一貫した視点をよく表している。この時、両氏の道先案内をされたのが、現在、徳島建築士会名誉会員の酒巻芳保先生であった。酒巻先生は前年に氏から依頼を受けて祖谷地方を調査し、この年、佐那河内村と祖谷の険しい山路を共に歩いたことを、懐かしく話して下さった。今氏46歳、竹内氏37歳、酒巻先生22歳の夏のことであった。

 

●考現学の誕生

 『日本の民家』出版の翌年、大正12年9月、関東大震災が起こった。氏は吉田謙吉氏を連れ、焼野原と化した東京を歩き回った。震災者たちのつくる焼きトタンの家々を片っぱしからスケッチして歩いた。その逆境の中から生まれるバラックの住まいに、開墾地移住者の家で見たものと同じ、原始住宅の発生過程を見ていたのである。

 しばらくすると、銀座や上野などにバラックの店舗が建ち始めた。氏は殺風景な町並みに潤いを与えようと、吉田謙吉氏らと「バラック装飾社」というペンキ屋を始めることになる。そのうちだんだん注文が多くなり、マスコミにも注目されるようになった。しかし、一部の建築家からは「表層の装飾は建築美にあらず」というアカデミックな立場で非難された。それに対して、氏は「そういう建築論に奉仕するつもりでやったのではない。震災をうけた人びと、つまり社会にたいしての行動なのである」と述べている。

 昭和2年「考現学」命名の日がやってきた。震災後3年にわたって採集した資料の展覧会を、新宿の紀伊國屋書店で開くことになったのである。それまでに考えていた名であったが、一般に公表したのはその時が初めてであったという。

 その「考現学」を今氏自身はこう説明している。

 

私たち同志の現代風俗あるいは現代世相研究にたいしてとりつつある態度および方法、そしてその仕事全体を、私たちは「考現学」と称している。

「考現学」と称したかったのは、考古学に対立したいという意識からである。古代の遺物遺跡の研究は、明らかに科学的方法の学たる考古学にまで進化しているのにたいして、現代のものの研究には、ほとんど科学的になされていないうらみがあるから、その方法の確立を試みるつもりで企てたかったのである。

 

 氏は単に採集調査するだけではなく、新しい学問を生みだそうとしていたのである。川添登氏は『今和次郎−その考現学』で次のように述べている。

 

社会変化を正確に記録し解明して、将来の日本人の生活を予測するため、文字通り、「民間学」の名にふさわしい学問の建設を意図したものは、そう多くはない。今和次郎は、そうした稀有な学者の一人だった。

現在では行政も企業も、人々の生活の実態をしらなければ、企画し事業化できなくなっている。そのため、各種調査機関によって年々おびただしい調査がおこなわれているが、生活の実態を真にとらえている調査といえるものは、九牛の一毛にもたりない。そして「生活が見えなくなった」とささやかれている。そのなかで考現学が次第に見なおされてきたのである。

 

柳田國男氏の民俗学から離れていくきっかけになった考現学は、震災後のバラック生活者の記録から始まり、多岐にわたる世相風俗調査へと進んでいった。現在、見直されつつある考現学であるが、氏の震災者に対する慈愛の心と美の根底を見きわめる鋭い眼差しから出発したということを、われわれは決して忘れてはならない。

 

●今和次郎の語りかけるもの

 昭和5年頃を境にして、考現学への興味は失われてゆくが、民家調査は持続している。

 氏の調査した民家の中で、国の重要文化財に指定されたものは何一つないというのも不思議なことであるが、氏の民家を見る視点はそこにはなかった。

 震災後の東京を見たときもそうであるように、逆境の中から芽生える生命力に感動し記録したのである。その確かな視点は、美の原点を教えてくれる。歴史的、造形的価値も確かに重要なことではあるが、造形美を近視眼的に見ることに警鐘を発しているのである。

 最後に『今和次郎集−第9巻・造形論』の中に出てくる私の好きな一節を書きしるしたい。

 

今日われわれの間に伝統といわれ、分析することを許されぬままに、われわれの心身に及んでいるといえる、いわゆる日本的な人情風俗、造形各種は、はたして讃美せずにおれぬものなのか。それは明らかにわが国の公家文化から由来して、公家とは対立にあった武家時代においても継承されたのではあったとはいえども、今日のわれわれが、それを無条件に肯定しなければならぬものであるかどうかに疑義をもたなければ、といいたくなるのである。

ばく然としたいい方をしたが、具体的に建築の場合で述べてみると、ブルーノ・タウトが取り上げて賞讃している伊勢大神宮の建築と、そして桂離宮の建築とは、あれは明らかに、わが国の公家文化から由来したもの、わが国の公家社会の特有な生活のあり方から結果された造形的物件だといえるのであるから、それを讃美するのには、公家的生活の肯定が前提となるのではないか。もしそれに全面的に共鳴するとするならば、公家的生活態度の讃美という論理にならざるを得まい。いやそれまでは、と一歩足ずりするかもしれないが、今日の多くのわが古典建築の讃美者、茶室の讃美者の理論のうちに、その根本の不徹底さを見なければならないのが残念だ、と私は思っている。

 

氏のあふれんばかりの人間性が、春風のようにさわやかなメロディーに乗って、しかも力強く語りかけてくる。

「目に見える造形美にとらわれないで、人と物の初源の関係を見つめなさい」と

 

とみた・しんじ/富田建築設計室主宰

 

テキスト ボックス: ●今和次郎に関する主な書物

『今和次郎集』全9巻 今和次郎著               ドメス出版 1971年
『今和次郎・民家見聞野帖』今和次郎著       竹内芳太郎編 柏書房 1986年
『モデルノロジオ(考現学)』覆刻版    今和次郎・吉田謙吉著 学陽書房 1986年
『考現学採集(モデルノロジオ)』覆刻版  今和次郎・吉田謙吉著 学陽書房 1986年
『今和次郎−その考現学』川添登著             リブロポート 1987年
『考現学入門』今和次郎著・藤森照信編            ちくま文庫 1987年




















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