とくしま建物再発見27「川俣の農村舞台

ふすま絵 彩色失わず

徳島新聞(2002年6月22日)より

 

 上那賀町・長安口ダムのすぐ下流に架かる小浜大橋を渡り、古屋谷川沿いの一本道を車で15分ほど走ると、川俣集落にたどり着く。ユズ栽培を主産業とするわずか17戸の小さな集落である。そのほぼ中央の小高い丘の杉木立の中に礫(つぶて)神社があり、その境内にこの農村舞台がある。県内に残るほかの舞台と同じように、戦前まではこの舞台でも人形芝居や素人芝居が演じられていた。しかし戦後、ラジオや映画などの娯楽に押され、芝居小屋として使われることはなくなっていった。

 明治の初めごろに建てられた当初は茅葺き屋根であったというが、1937(昭和12)年に波トタンの屋根に葺き替えられ、その時に厨房や倉庫なども舞台裏に増築している。改修や増築は建物の宿命でもあるが、民家の古材を再利用する一方、正面外観の雰囲気を損なわないよう裏側に増築するなど、無駄な費用をかけず上手に再生させる工夫が心地よく感じられる。また、ふすま絵(唐紙)をしまっておく押し入れは湿気を呼ばない吊り構造になっているので、明治中ごろに描かれたというふすま絵はその彩色を今も失っていない。

 川俣の舞台は一見、倉庫と見間違えそうな波トタンにコールタール塗りの素朴な建物であるが、この前に立つと、人形芝居を見たい、演じたいの一心で、村人が一丸となって造り上げたであろうことが感じられ、いつもほのぼのとした気持ちになれる。発散するコミュニティーの香りが、この建物をより美しく見せているのだろう。みんなの手で造り上げていく建築を、今はもう造ることができなくなった。

 新しい材料が日々開発され、使いたい材料は世界のどこからでも取り寄せることができる時代であるが、高価な材料や特異な材料で着飾る現代建築から、この香りを感じることはない。建築は存在感が大きいから見栄えが気になるものだが、作り手の思想や心もまた外観と同じように表に現れるものだ。

 飽食の時代の中で、建築もより饒舌になってゆく。満たされても満たされても、いつも心の中に大きな穴が開いていて何かが満たされない時代である。

 僕にとってこの川俣の舞台は、大きな穴を埋めてくれるおふくろのようであり、田舎で見つけたべっぴんさんでもある。(富田眞二)

 

●メモ「川俣の農村舞台」

上那賀町川俣ドウノ前、礫神社境内にある。建築年代は明治初期(推定)で、1937(昭和12)年、屋根をカヤからトタンに葺き替える。舞台とふすま絵は町指定有形民俗文化財。舞台の規模は間口9.68m、奥行き5.8mで、切り妻造り波トタン葺きの建物である。向かって右側には人形芝居上演時に太夫と三味線引きの席となる太夫座が斜めに突き出す。1991年12月7日、40年ぶりに人形芝居の復活公演が催された。

 

▲舞台内部。泥絵の具で描かれたふすま絵は薄暗い明かりの中

で鮮やかによみがえり、光り輝く。上に吊るされた5本の鴨居

は「ふすまからくり」の装置であり、敷居は上演時に鴨居から

吊るされる。

▲木立の中にある舞台を正面から見る。向かって右側には太

夫座(たゆうざ)が突き出し、手前の広場が観客席になる。

▲舞台と太夫座の取合いを見る。大屋根の軒下に斜めに取り

付く難しい納まりにも、センスの良さを感じさせる。

※写真はすべて末澤弘太(徳島新聞社写真部)

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