とくしま建物再発見37「橋本家

極小敷地 巧みに活用

徳島新聞(2003年4月26日)より

 

 蔵本球場(徳島市)の南西数百bのところにあるこの建物は、建築家の橋本國雄さんが17年前にアトリエ兼自宅として設計した。都市計画道路が敷地を斜めに横切ったことで残ったわずか10坪の三角地を購入し、自らの夢を叶えるべく設計に取り組み、直営で造った建物である。

建築の世界で極小敷地の家として神話化されるほど有名な、6坪の敷地に建つ『塔の家』(東京都、東孝光氏設計、1967年完成)があるが、この家のことが土地購入時に頭をよぎり、「10坪もあれば何とかなる」と思ったという。

しかし、変形で狭い上に、ワンフロアに許される床面積は最大6坪(建ぺい率60%)まで、延べ床面積は20坪(容積率200%)までという建築基準法のハードルをクリアしなければならなかった。この厳しい条件の中でたどり着いたのが、半地下を持つ2層のアトリエ空間と、その上に載る2層の住居空間である。

アトリエの玄関は道路と同じ高さに置き、室内の床を半階ずらすことで歩行者と視線がいたずらに合わないようにしている。このことで通りに対して大きな開口部を設けることができ、オープンな雰囲気のアトリエをつくり出している。一方、住居の玄関は道路面より半階上げ、アトリエと別にすることで気兼ねなく出入りできるようになっている。

また、この家は各階の高さを非常に低く抑えているのが特徴でもある。普通、住宅の階高は3mほどであるが、ここでは2.3mしか取っていないので、1階分上がるのに3、4段少なくてすみ、上下の移動を楽にしている。その分、階段のスペースも小さくできるので、部屋の広さを確保するのにも役立っている。

構造面も面白い工夫が施されている。アトリエと住居を仕切る床は遮音性の高いコンクリートでできているが、それ以外の床は木で造り、コンクリート打ちっ放し仕上げの無機質な内部空間に潤いを与えている。他にも回転式テーブルや浄化槽の設置方法など、小さいスペースならではの知恵や工夫がいたるところに見られる。

戦後、1950年代までの住宅難の時代に、住居を原点から見直し、規模の最小限を追求する試みが建築家たちの手によって盛んに行われていた。増沢洵氏の自宅や池辺陽氏の立体最小限住居などがその代表例であるが、それらは15坪前後の小さな住居ばかりである。

そんな時代から50年が過ぎた今、私たちが造る住宅は全く違う世界かと思うほど変わってきた。規模はますます大きくなり、快適に住むための便利な設備機器も次々に導入されてきた。物質的には豊かになった住まいだが、その一方で失ってきたものも多いはずだ。家族愛、近所付き合い、思いやり、忍耐、五感・・・・・。鳥の巣のような小さな家では、家族同士が互いに気遣いし、助け合わないとうまくやっていけないことが多くなるが、そのことが逆に思いやりや忍耐の心をはぐくんできたように思う。

この橋本家に来ると「住まう」ということの本来の意味を問い直させてくれる。知恵と工夫の中から生まれた本当の豊かさが垣間見えてくる。豊かになり過ぎた現代の家造りに何が必要なのかを真剣に考えなければならない時期に今、直面しているように思えてならない。(富田眞二)

 

●メモ「橋本家」

所在地:徳島市南庄町2丁目

設計:橋本國雄・諒建築設計事務所  施工:直営

構造:壁式鉄筋コンクリート構造(1階と3階の床は木造)

規模:地下1階・地上3階建て

敷地面積 33.33u(10.08坪)  延べ面積 66.64u(20.16坪) 

地階 16.44u( 4.97坪)  1階 14.86u( 4.50坪)

2階 19.52u( 5.90坪)  3階 15.82u( 4.79坪)

 

▲【左】南側からみた外観。左側の大きな開口部分がアトリエの玄関で、右側

の階段を上がると住宅の玄関がある。【右】三角形の鋭角部分に当たる東側は

極端に狭く、設計の工夫が特に感じられる。

▲玄関から見た2層のアトリエ空間。上が接客の間で下

に見えるのが半地下の作業場。玄関を兼ねた階段の吹き

抜けが平面の狭さを補っている。

▲2階から3階に上がる階段を見る。3階上部のトップ

ライトから差し込む光が、階段の吹抜けを通して2階に

降り注ぐ。

※写真はすべて末澤弘太(徳島新聞社写真部

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