とくしま建物再発見47「富野家

片流れの屋根で開放感

徳島新聞(2004年2月14日)より

 

 田園風景の広がるのどかな地に建てられたこの住宅は、住まい手である富野真(35)さんと妻深雪(30)さんの共同設計によって実現した。若い二人に与えられた敷地は、母屋の建つ南側の一角だった。彼らは母屋への日照や眺望に気を使いながら、暖めてきた住まいへの思い幾度となく語り合い、この地にふさわしい形を探し続けた。そして、たどり着いたのが北を低くし、南に伸びる片流れの屋根形態だった。母屋への日照配慮もさることながら、この外観デザインによって魅力的な内部空間を造り出すことに成功した。屋根形態をそのまま表した室内は、低く抑えられた北側の天井が南側にいくほど高くなるので、南に向かっての広がりや開放感が増し、おおらかで伸びやかな空間を獲得している。それをより確かなものにするかのように、南面はほとんど壁をつけず開放している。ガラス一枚で仕切られた室内とウッドデッキは内と外の境界をあいまいにし、南に広がる田園風景や四国山脈を日々の暮らしの中にごく自然に取り入れている。このように心を癒したり五感に語りかける精神性のようなものを大切にしたのがこの住まいの特徴であり、コンセプトのようにも思われる。細長い玄関へのアプローチもその一つで、母屋を目隠しするように設けられた東西に長い一枚の障壁が、訪問者へのプロローグとなる。この囲われた露地空間を通りながら、少年時代の情景をオーバーラップさせる人がいるかもしれないとふと思った。もてなしの長いアプローチを抜け、左を振り向くと広がる田畑と遠くの山並みが歓迎してくれた。心のぜいたくがなんと心地よいことか。

心の時代といわれて久しいが、いま造られる住宅の多くは、いまだにその答えを見つけられないでいる。というより、物の時代へと後戻りしているかのようだ。住宅には「欲望」という怪物が潜んでいて、心の住まいの実現を阻んでいる。豪華な門扉や玄関ドア、舶来の高級建材や照明器具、オシャレで使いやすいキッチンやバスルームなど、欲望をかき立てられる商品は後を絶たない。その魅力に負けて、知らず知らずのうちに重装備になり、住まい方や生き方が見えてこない住宅が多い。

以前から個性的な家にあこがれていた。ほかにはない僕たちだけのカタチを思い描いていた」という彼らは、切り捨てる勇気、引き算の美学を知っていた。素材選びは外観デザインやプランと同じくらい大切な要素だった。飽きのこない素材、自分たちに見合ったローコストの素材を探した。生き方にふさわしい素材として「石綿板の無塗装品と、シルバー色のアルミ板」を選んだ。どちらも無機質な工業製品であるが、クールな中に何ともいえない暖かさがあり、いくら眺めていても飽きがこないという。石綿板は下地材に、あるいは塗装して使われるのが一般的であるが、ここでは素地のまま仕上げ材として使われている。それは外壁をはじめ、室内の床や壁、手づくりのキッチンや広間のテーブルなど、多用されているので、見えや飾りのない素朴な香りが家全体から発散している。表層的な素材の魅力に惑わされない、人生を知り尽くした大人のような演出に驚嘆した。建築に直接縁のない若い二人の構想や設計を、背後から全面的にサポートしたのが建築家の釜内健二さんである。彼の的確な助言が悩む二人の道しるべとなり、確かなものへと導いて行ったに違いない。工事は多田英雄設計工房が担当した。建物細部の納まりを見ていると、多田さんもまた、素朴な素材扱いの達人だと思う。

個性や精神性を大切にしたいと願った二人の住まいは、最適の建築家と施工者を得て完成した。そして「僕たちの家」と名づけられた。 (富田眞二)

 

●メモ「富野家」

所在地:板野郡上板町瀬部

構想・設計:富野 真・深雪

設計協力:釜内健二((とも)建築設計事務所)

施工:多田英雄(多田英雄設計工房) 大工棟梁:横田勝年

設計期間:2001年2月〜2002年1月 施工期間:2002年2月〜9月

構造規模:木造2階建て 延べ面積 147.72u( 44.7坪)

1階 86.35u( 26.1坪)  2階 61.37u( 18.6坪)

 

▲南側より見る。片流れ屋根の外観が個性的。背後の母屋への採光配慮から生まれた

素直な形でもある。

▲広間の南面は全面ガラスで構成し、デッキを取り込んで内と外を一体化する。石綿

板を敷き詰めた大胆な床が、新しい空間をつくり出している。石綿板の下には快適に

過ごすための床暖房が設けられている。

▲壁に囲まれた長いアプローチは、もてなしの心の表現

であり、次の舞台への演出でもある。

※写真はすべて末澤弘太(徳島新聞社写真部)

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